組合歴史

大阪鋲螺工業協同組合の歴史2

戦後

①関西加熟鋲螺釘工業協同組合(商工協同組合法)

敗戦後の虚脱状態から漸く脱した21年9月14日、戦後初めての組合の設立準 備委員会が発足した。発起人代表白山好太郎より近畿二府十県の加熱鋲螺業 者に対し、参加の呼び掛けを行った。商丁協同組合法の国会通過後、同法によ る設立総会は当組合がトップとなり、10月16日港区役所で総会を開催した。しかし、同法律の公布がユ2月1日で、少し総会が早過ぎたため、翌22年2月15日 再度総会を開催。近畿地方商工局長の認可、府知事へ届出をすまし、7月15日 設立登記を行った。しかし、8月23日の臨時総会で解散決議となり、翌23年1 月大阪商丁局長の認可を得て、同年6月精算結了した。


②西加熱鋲螺会(任意)

前期の協同組合が解散になると、新団体を結成しようという声が上がってき た。22年1!月25日設立総会を開催し、会長に植松良一を選出、協同組合と殆ど 似たような組織でスタートしたが、この度は任意団体で行くことになった。会員数は当初65名、1年後には95名と増えた。 この会は比較的スムーズに運営されて、事業内容も協同組合と全く同じこと をやっていた。 しかし、任意団体では行動範囲も限定される。丁度その頃、現行の中小企業 等協同組合法が施行された。必然的に法に基づいた協同組合に移行しようとい う声が盛んになってきた。そして協同組合に移行することを前提に、25年3月 を以って解散することになり、翌26年2月17日精算結了した。


③関西加熟鋲螺釘工業協同組合(中小企業等協同組合法)

昭和22年にできた同名の組合とは、全く別で、設立の根拠法が異る。現行法 に某づく最初の組合で、先の組合と同名称にしたというだけのことであった。 25年3月2日鉄鋼会館で創立総会を開き、同4月24日登記をした。 理事長 辻齢三 払込出資額150万円 抜物、ボルト、事業、企画、総務の五部を置き、すべり出しは順調であったが、 半年程たつとおかしな雲行きとなり、12月9日解散決議となってしまい、翌26 年1月20日鉄鋼会館で解散総会が開かれてこの組合は幕を閉じた。そしてその 4日後、現鋲蝶組合の創立総会が開かれた。


④大阪(加熱)鋲螺工業協同組合(中小企業等協同組合法)

創立総会は昭和26年1月24日、午後2時より心斎橋クラブにて開催、山席者 は28名、定款承認、と役員選出を行った。同日同所に於いて、午後6時より役員会を開催し、初代理事長に矢野鉄一を選出した。その後、昭和35年5月時代 の流れに即応すべく、組合の名称より“加熱”を取って現代の名称にしたもの である。


⑤関西ねじ協同組合

厳しい経済環境に対応して組合経営基盤を強化するため、平成14年10月1日、関西のねじ製造5団体が統合し、関西ねじ協同組合が設立され、当組合も移行した。

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