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米国視察レポート
第一日9月13日【ボストン到着】
飛行時間約16時間の長旅だったが、ボストンの海の香りと美しい夜景が疲れを癒してくれた。それでも、皆の顔から疲労の色は隠せない。 池田社長のスーツケースが届かず、後続の便に乗せられたと聞いて、こんなときにトラブルで疲れを癒すまもなく大変なことだと同情したが、この先に自分たちにも降りかかるとは、誰も考えていなかった。米国では、珍しいことではないようだ。 早速、ホテルに向かうバスに乗り込もうとしたとき、ふと後部に描かれたYANKEEの文字が気になったが、なんとそのバスがヤンキースの選手を送迎する車であること、これからわれわれを送った後、ヤンキースの選手を迎えに行くこと、を知ってシートを見る目が変わったのは、私だけではなかった。センセーショナルな予感を抱きつつ、時差ぼけで寝苦しい一夜を過ごした。 ホテルは、エリオットホテルというヨーロッパスタイルのホテルで、街の中心にも近く、川を挟んでMITにも近く、とてもクールなホテルである。米国式に規格化された施設・アメニティはないが、落ち着いて寛げそうなホテルだ。
第二日9月14日
眠れないまま、真っ青な空が広がる早朝を迎える。そのまま、先週から吹き始めた秋らしい涼しい風の中、河辺を散歩すると、朝日を浴びてジョギングを楽しむ多くの人々に出会う。自分も、このすがすがしい空気を胸いっぱい吸い込んでみたくなり、持参したトレーニングウェアを明日こそは着て走ってみようと決める。ハーバードブリッジを挟んでチャールズ川の対岸に見える建物はMITである。町全体がどことなく京都に似ていると感じたが、後で両者は姉妹都市であることがわかった。こうしたすばらしい街は、どのようにして創られてきたのか、今日の市内の視察がたいへん楽しみだ。
【市内視察】
ボストンは、欧州からの移民が最初に移住し始めたところで、特にアイルランド系の移民が最も多いと言われている。大統領もアイルランド系の人が多いわけだが、最近でも民主党から立候補したジョン・ケリー氏などは、この地の出身で今もビーコンヒル地区に住んでいるとのこと。
早速、コモンウェルス通りを抜け、バックベイ(埋め立て地の意味)地区を車窓より眺めながら、マサチューセッツ州庁舎に向う。この地域は、都市計画に優れた道路と美しい町並みを有し、通りの名前もアルファベット順につけてあり、わかりやすくまたセンスのいいヨーロッパ風のカフェがならんだ洒落た地区で、米国で最も美しい町並みの一つと言われているそうだ。埋め立てなので、地盤沈下を防ぐため、一定量の地下水を給水してレベルを保っているとのことで、この景観と町並みを保存しようとする市民の街への愛情がよくわかる。町の中心には、公園があり、ここは、ボストンコモンとよばれる共通地域で、誰もが平等に使用することのできる憩いの場である。そのすぐ近くには、本物の金箔でできたドームを有する赤レンガづくりのマサチューセッツの荘厳な州庁舎がある。土地を提供したジョン=ハンコックとビールで有名なサミュエル=アダムスが礎石を安置したという。その近くには、一つの高層マンションがこれらすべてを見下ろすようにそびえていたが、その最上階には現在、レッドソックスの4番打者デーモン住んでいるとのこと。これもアメリカらあしい。
車を降り、ボストンの発祥の地ともいえるビーコンヒル周辺を散策すると、そこはハリウッドのような庭の大きな高級住宅地ではないが、しっとりとした伝統的な佇まいが続き、街頭や石畳がどことなくパリのようだ。各家に星条旗が掲げられているのが目に留まり、米国の独立のきっかけともなったボストン茶会事件で結束した民衆の力のことが心に蘇ってくる。愛国心、公共の精神、それらは、フランス革命にも影響を与え、自由、平等、博愛の現代の欧州の精神の基礎にもなっている。米国は今回が2度目だが、このヨーロッパ風の町並みは非常に新鮮に感じられた。
ビーコン地区から、高層ビルが立ち並ぶ金融街に進む。政治家としてのベンジャミン・フランクリンがここから活躍の場を広げていったという。高層ビルは、この地域に限定され、こうした整然とした計画的な都市開発には、本来の「政治の力」というものを感じさせる。
次に、教育・学問の中心であるMIT(マサチューセッツ工科大学)とハーバード大学に向かう。
【MIT見学】
MITは、チャールズ川の畔にあり、ダウンタウンからもそう遠くない街の中心にある。この広大な土地を提供したのは、写真、コピーで有名なイーストマン・コダックだそうだ。ここは、説明するまでもなく工学の最高峰であり、米国の軍需、精密機器を担うとともに、タイタニック号の引き上げを行った海洋技術研究所など様々な技術分野から成り、最近では脳科学、移植科学研究から、バイオテクノロジーに力を入れている。基本的には、企業との共同研究が多く、ボストン郊外にある有名なジーンタウンの企業(バイオゲン等)との遺伝子研究は有名である。IT関係ではマイクロソフトとの研究があるが、最近はITについてはカリフォルニアにそのコアが移動しつつあるとのこと。また、米国では一般的だが、教授のほとんどが自身の会社を経営している。
構内は学生であふれていて、中でも留学生が多いのが目に付く。皆、礼儀正しい。講義室を覗くと映画「グッドウィルハンティング」の舞台そのままの姿を見ることができた。ところで、MITでは、ほとんどの講義ノートをネットで公開している。以前にProf.Bertheの計算力学の講義ノートを参考にさせてもらった。これも開かれた米国ならではのことで、技術者にとってはたいへん有難いことであり、MITはすばらしい教育機関である一面ももっている。日本の大学が留学生に人気がなくなり、また、学位をとることへの魅力が減少していることを思うと、MITが現在の地位にあるのは、教授同士の競争と、公平な評価、公共性など総合力に負うところが大きいと思う。また、学生を大切にする象徴なのか、最も景色のいいチャールズ川に面した一等地に学生寮が並んでいる。
【ハーバード大学】
昼食後、今度はハーバード大学に向かう。こちらは、誰もが知る世界最高の大学と格付けされた名門中の名門だ。市街地から遠くないケンブリッジという地区にあり、様々な学部=スクールが集まって大学を構成している。すべての学部が有名だが、中でも医学部は、多くの敷地をもち、専門分野の研究が今日も行われている。われわれは、その中心に向かい、数ある図書館のなかでも最も大きい建物の前で記念写真を撮る。学長室のある門から外に向かうと、そこは様々な店舗がならぶ商店街のようなところにでた。これらの商店は経営学の実践の場としても活用され、また、大学の資金源にもなっているとのこと。大学もひとつの大きな企業で、良い解釈をあたえると、純粋学問をおこないながら、実社会との接点をしっかりもっているということでしょうか?ただ、学費が日本円で年400万円だそうで、やはりある程度の資産家か、国や会社から補助が出るような立場の人間にか勉学のチャンスはなさそうだ。学生は厚い本を何冊も一週間に読みこなさなければならないとのことで、英語を斜め読みできない日本人にとっては、本当につらいことだと思う。ふと、雅子皇太子妃もここに留学されていたことを思い出した。
【大リーグ観戦】
こうして、第一日目の市の歴史文化・学問市内視察を終えた。
金曜の夜は、今度は、庶民の暮らしとアメリカ文化の象徴である大リーグの観戦にでかけた。楽しみながら米国社会の勉強ができる機会を作っていただいた今回の計画者の田島会長とそれに応えた旅行社に感謝・感謝。しかも、なんとシーズンも終盤のペナント争奪たけなわのレッドソックス対ヤンキース戦だ。米国人に話しても、よくこのようなチケットが手に入ったなといわれるほどのレアものだ。
しかも、誰もが見たい松坂の登板日にぴたりと当たる、という奇跡的な展開。正直、田島会長の強運には恐れ入りました。皆、同様に驚いていました。フェンウェイパークに実際入ることができるということが信じられないまま、この歴史あるボールパーク(球場)に徒歩で向かう。ホテルからは10分程度の道のりで、この試合が結果的に12時まで続いたことを思えば、最後まで交通機関を気にせずに観戦できたのもホテルのロケーションのよさのお陰であった・・・。
昼間から、ダウンタウンではそわそわしたファンの姿が見られ、球場に近づくにつれ、その数はどんどん増えてきた。多くのファンが松坂の名前と背番号を入ったTシャツを着ており、それを近くで見るにつけ、野球観戦する前から、胸がジーンとしてくる。市庁舎には、「松坂よ、ボストンに来てくれて有難う」という垂れ幕がかかっているそうで、異国の地で、これだけ市民に愛され、感謝されている日本人がいるということが誇りに思え、また、受け入れるアメリカ合衆国という国の懐の大きさ、寛大さを感じた。
球場の熱気は試合前から最高潮ですが、これは、阪神の応援で慣れていますので特に感動はないが、鳴り物が無いこと、近くにいる見ず知らずの観客同士がすぐに仲良くなって、いっしょに試合を楽しもうとしている点は異なる。今を精一杯生きているという感じで、明るくて、一緒にいて本当に楽しい。
さて、試合のほうは、松坂がわれわれに少しでも長く姿を見てもらいたいかのようなツースリーの多いピッチング。フォアボールも出すが、なかなか相手に点をやらないという展開だ。私は、昔から松坂の外連味のないピッチングがすきだ。しかし、松井に三塁打を打たれて、とうとう一点を失った。松井は一流の中の一流の扱いで、レッドソックスファンのブーイングも大きい。この二人に共通しているのは、自分を信じていることだ。絶えずゆるぎないものをもって相手に向かっている。自分の力を信じて戦うためには、彼らはいったいどんな努力を日々してきたのだろうか。
岡島も市民に愛されているようで、入場の際は応援歌"OkieDokie!"は最高だ。試合は、7−1と大量リードしたレッドソックスが終盤ヤンキースに逆転され7−8で敗戦。おかげで、大好きクローザーのリベラを見ることができた。
負けたときどんな反応をするか注目していたが、暴れることなく、近くのバーで酒を酌み交わすもの、静かに帰宅するものに別れた。後に引かないことも、米国人の特徴かもしれない。"Don'tstayinthepast!Youcanstartover."
第三日目9月15日(土)
【ボストン美術館】
朝から、小雨が降るあいにくの天気でしたが、今日の計画は室内が中心なので問題なさそうだ。異国の文化を理解するためと、バスは使わず地下鉄を利用してボストン美術館に向う。ここの地下鉄はホームが高くないので、バスのように乗降する構造になっている。運転は、結構雑で何度も倒れそうになる。
ボストン美術館は、緑の中にあるどっしりした近代的な建物で、内部は現代的なデザインですっきりした空間が広がっている。この美術館の特徴は、王室や財産家の寄付よるものでなく、市民が力をあわせてコレクションしたところにあり、「開かれた」美術館をコンセプトとして運営されている。館内では、近くの高校生が先生から説明をうけ、スケッチしている姿があった。課外授業だそうで、このようなことはごく一般的なことのようだ。
二階は、ヨーロッパの中世の作品から、フランス印象派の作品が多く、特に有名なのは、日本の着物を着た「モネの奥さん」の絵で、その斬新さは観るものの目を惹く。また、着物が当時の印象派とよばれる人々に多大な影響をあたえたことが容易に想像できる。
一階には中国、日本からのコレクションが並べられている。日本の浮世絵が多く持ち込まれ、菱川師宣の「芝居町屏風」や喜多川歌麿、葛飾北斎、歌川広重らの浮世絵が飾られていた。岡倉天心が20世紀のはじめにここの東洋美術部長として在籍したことがあると聞く。日本との接点は「松坂」だけでなく、ボストン交響楽団で長い間タクトを振った小沢征爾をはじめ、文化交流が長く続いている。松坂が受け入れられるのは、こうした尊敬すべき日本の文化人の存在のため、と考えていいと思う。
【ねじの販売・ホームセンター視察】
米国でねじがリテーラーからどのように販売されているか視察するために、大手のホームセンターを訪れた。バスが郊外に向かう途中、全米で最も暮らしたい場所ベスト1にもなったウェルズレイ地区を通過した。ここには、松坂も住んでいるそうで、日本人の板前さんが腕を振るううまい日本食のレストランもあった。スポーツシューズで有名なニューバランス、やリーボックの本社が近くにあるそうだ。
ホームセンターは、日本で見慣れているものより天井が高く、また広々として製品が消費者によりわかりやすく区分けされている。ねじの品数も多いようだ。何かお土産をと思って品物を探すが、優れたものは日本製、それ以外はアジア・中米等で作られたもので、メイドインUSAは見つからない。リテーラーで販売されるような薄利多売の大量生産品は、こうした運命をたどるのか。
夜は、アンソニーズ・ピア4(ANTHONYS PIER4)というボストンの港の先端にあるシーフードレストランで、ロブスター料理で、ボストン訪問の反省会をおこなった。
第四日目9月16日(日)
【移動日 ボストン→ワシントン→シンシナティ】
シンシナティに移動する。ここで、またスーツケースで大変なことが起こる。14人のうち、7人のスーツケースが到着せず、私のものをはじめ、重要な試験サンプルの入った石本さんのものも姿がなかった。航空会社の担当者は、謝罪することもなく、今後の処理について淡々と説明するのみで、日本のように、従業員は皆、会社の代表者という感覚はないようだ。
一人ならば落ち込むところだが、これだけ多くいると返って心強いもので、何とかなるという気持ちになる。その夜の宿泊のための着替えを買いに、近くのウォルマートに立ち寄り、下着や洗面道具を購入した。費用は航空会社に請求することになっている。
話を戻して、シンシナティは、野球でいうならレッズ、食べ物ではチリ、企業では、P&G、クローバー、バナナのチキータなどの本社がある。ダウンタウンのアメリカンスタイルのホテルで一泊した。
第五日目9月17日(月)
【米国トヨタ自動車訪問】
午前中は、ジョージタウンにある米国トヨタ自動車の工場見学。周りを牧場に囲まれたケンタッキー州の典型的な景色の中にその工場はあった。セキュリティーは厳しく、日本のトヨタと同様、携帯電話を含め、写真を撮影するものの一切と、レコーダーは不可となっている。
従業員は約一万人(内パート約3000人)、2シフトで最初のグループは、6:30〜15:30。生産能力としては、2000台/日。現在の主力車種は、カムリとエムロンのハイブリット車が中心のようだ。
工場見学は防塵めがねをして、トラムに乗りながら、案内役の女性が説明するという形で行われた。アセンブリが中心の流れ作業が中心で、エンジン、パワートレイン、ドアの順で見学し、その後、ドアや車体のプレス(スタンピング)工場をまわる。スタンピングの金型の交換は10分でできるように外段取りをしている。材料の薄板は100%現地購入とのこと。
溶接のエリア、それに続く塗装エリアとトラムは進んでいった。塗装はメタリックがメイン。その後、バンパーの樹脂のインサート成形、電装系のアセンブルを見学する。プレス機械はコマツ製、インサート成形は地元のシンシナティ・マイクロン社のものを使用していた。
場内には、音楽が流れ、リラックスいたムードで作業が行われており、女性の姿も目立つ。女性が22%を占め、給与は男性とまったく変わらないとのこと。改善活動も浸透し、職場どうしで成果の競争をおこない、表彰制度もあるようだ。ちなみに、入り口には、「品質で作る。ジャストインタイム。法令遵守。連続流れ生産。仕事の標準化。」のスローガンが掲げられていた。
お土産に、防塵めがねをいただく。
【原口氏を囲む討論会】
原口さんは、現在トヨタ通商アメリカで、非鉄金属部門の部長(Vice-President)をされ、さらに、アルミの鋳造、リサイクルなどの3社の非鉄関係の会社の代表取締役をされている。明瞭で実直な受け答えで、われわれの質問に答えていただく。
いくつかの質問を挙げると
・ニッケルの高騰について。また、今後の動向。
ある一定のところでバランスする。ニッケル鉱山の立場から考えると、これ以上生産をとめるわけにいかなくなるので、一定量のニッケルは市場に流れるようになる。
・米国での日本企業の進出
人件費が日本より安いということがない。特に社員のための厚生年金の支払いが、企業を圧迫している。今後、進出は減少する。
・米国の従業員
マニュアルがないと決して動かない。
気を利かせて、人の仕事をしてはならない。人の仕事を取られたと感じる
廃棄物も分別回収をすると、分別する人の仕事を奪うことになる。
・米国人の収入
格差は大きい。ウォール街の女性を含めた平均年収は約80万ドル。
・米国のものづくりについて。
米国はすでに、ものづくりは捨てているようにも見える。
総じて、合理性と非合理性が混在している。格差があり、莫大な貿易赤字があっても、基本的に豊かで、皆明るく、将来の蓄えのことにとらわれていないように見える。これだけ多くの人種と民族が混在しながら、国がまとまっていることに驚きを覚えるとともに、凄さを感じるとのこと。
原口さんは、お子様を地元の普通の学校に入れざるをえなく、はじめ心配したが、すぐに面倒見の良い同級生が現れて言葉の通じない娘を助けてくれたそうだ。こうしたところにも、米国を感じる。米国社会は中国に似ているともいわれた。
原口さんを囲む会の後、一同はシカゴへ到着。そこで現地解散式を行った後、、他の地に出向く人、帰国する人とに別れ、それぞれの空路で旅たち、今回の研修旅行を終了した。
